橋を担いました。平成3年には「フローラ旅行センター」としてオープン。コンピューターも設置され、旅行に関するあらゆる情報提供がスピーディーになり、旅券やクーポンもその場で発券できるなどさらに便利に。神奈川県下の農協旅行センターとの共同企画でバラエティーに富んだ旅行を企画募集することが可能となり、少人数での参加もしやすく、旅費も比較的安価と、多くの利用者がセンターを訪れました。業務形態を変えつつ、令和2年の旅行窓口閉鎖まで、多くの旅をアテンドしました。▲公社電話との接続は交換手2人が常駐し、24時間体制で行われていました。▲放送室旅行センター窓口▲▲交換室8結婚式場に併設し、新婚旅行を中心に旅行業務を取り扱った観光事業。昭和50年代の後半から増加を見せた、海外旅行などの観光取り扱い件数は平成に入っても大きく伸び、各地と利用者をつなぐ架け県下では昭和30年に有線放送が設置され、市内に初めて有線を引いたのは、大楠地区が最も早く昭和32年。武山地区、北下浦地区と続き、長井地区は昭和41年の自動化統合と同時に開設されました。公社電話との接続も行い、地域のコミュニケーション機能として貴重な役割を果たしました。有線放送では自主番組、お知らせ放送などの一斉伝達が可能になり、尋ね人、学校や会合の連絡、地域のニュース、市況の他、消防団の活動にも効果を発揮。「武山会館」の新築に伴い、放送施設を本館内に移転し、設備も一新。昭和48年には加入戸数が1,900戸でした。しかしその後、公社電話の普及が進み、加入数の減少、交換機の老朽化など改修が不可能となり、平成3年に有線放送事業の終了を決断。新しい情報伝達方式として、ファックス通信システムが導入されました。心ときめく旅をプロデュースした 旅行センター通信・放送の拠点を担った 有線放送
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